かみなり村にキハ605がやってきた!

1951年常磐炭礦専用車キハ21として製造され、岡山臨港鉄道時代にはキハ1003、紀州鉄道時代はキハ605とその名を変え、客車として活躍することのないまま2000年1月廃車となったのを、2020年春よりかみなり村にて展示しています。 

長年の間風雨や潮風にさらされた車体は各所に亀裂や腐敗が進み、危険な箇所も見受けられます。今後も多くの方の目に触れ、その手でこの気動車の魅力を味わってもらいたいのはもちろんですが、不登校やひきこもりの子どもたちが落ち着いて過ごせる空間(居場所)としても活用するために、有志が集まりキハ605修復プロジェクトを立ち上げました。地域のランドマークとして、また地域福祉の拠点として新たな人生を歩み始めるキハ605のご支援の程よろしくお願いいたします。

気動車キハ605車歴

常磐炭礦鐵道キハ21

宇都宮車輌(現 富士重工業)製。昭和26(1951)年常磐炭礦職員輸送用キハ21として製造された。 全長12.2 m・オールロングシートの半鋼製小型車(定員80名)。戦前の国鉄キハ40000形気動車に類似するが、宇都宮車輌の同時期の製品に見られる張り上げ屋根を備える。 製造許可を得るために木炭ガス気動車として申請されたが、実際には日野DA55形ディーゼルエンジン を搭載し、ヤミ物資の軽油で走る普通の機械式ディーゼルカーとして完成された。しかし、常磐炭礦に気動車を運転できる運転士がいなかったため、1951年3月に納入されてから翌昭和27(1952)年1月まで放置されていた。運行が開始されたのは昭和27(1952)年中頃、浜井場停車場~常磐炭礦川平鉱間を1日数往復し鉱員輸送の任に当たっていた。昭和33(1958)年末若しくは昭和34(1959)年に運行を停止した。

岡山臨港鐵道キハ1003

1959年岡山県岡山臨港鉄道に譲渡されキハ1003(譲渡後定員82名に増加)となる。低かったステップを切り上げ、前照灯や逆転機の変更、車内の蛍光灯化改造などが行われたが、岡山臨港ではより大型の車両が主力で、キハ1003は小型のため、もっぱら予備車であった。なお岡山臨港在籍時に、原因不明だが書類上の製造年が1年遅い1952年になっている。

紀州鉄道キハ605

岡山臨港鉄道の廃線に伴い、1984年10月紀州鉄道がキハ16に代わる予備車として譲受した。1987年二前面の中央を1枚窓化、キハ603などと合わせクリーム色に緑色の帯を巻く塗装への変更、側面の乗降扉の交換などの改造が行われた。しかし入線後の試運転で振動がかなり大きいことが判明、長く紀伊御坊駅構内側線に放置されていた。すでに元・大分交通車の予備車2両で賄える運用状態であったため、キハ605は一度も営業運転されなかった。

2000年1月に廃車され、ふるさと鉄道保存協会に譲渡され、和歌山県有田鉄道線金屋口駅構内に保存。2014年12月まで同駅跡を整備した有田川町鉄道公園で保管されていた。

その後、富山県高岡市の伏木ヤードでJR貨物・北陸ロジスティックにより一部修復され、2020年6月11日かみなり村に移転保存。

御協力いただいている方々

キハ605修復プロジェクト